自分は、非常にユニークな人間だと思います。
これは、文字通り一意であるという意味で、同じような履歴(書)を持っているエンジニアはおそらくこの世に居ないでしょう。
丁度エンジニア定年を迎え、そろそろ半生という時期になって、あんまりポジティブではない履歴も自分の中ではある程度笑って思い出せるようになってきたので、軽くでもたな卸ししておこうと思う次第です。
とはいえ、全然書けないこともあるわけですが。
実質最終学歴中学1年
自分はいわゆる不登校児(中学だと不登校生徒?)で、中学校は1年次までしかまともに通ってません。 2年次以降は全然出席していないです。
そういう子を昼間受け入れてくれる塾(別にお勉強するわけではない)に通っていたりもしてたのですが、学校のお勉強はサッパリしてませんでした。
とても懐かしい。
今度少しコンタクトでもしてみようか。。。
それはともあれ、それでも中学校というものは卒業はできていしまいます。
その後、一応通信制の高校に入学しました。
このNHK学園というのはしっかりしたもので、NHKのテレビ・ラジオ放送での授業(NHK高校講座)を聴いて、それに関する設問への回答をレポート、月に一度登校することで単位を得ます。
放送大学にせよ、この高校講座にせよ、内容は非常によくできているので、勉強したい人にはとても良い教材だと思います。
今にして思えば、ですが。
当時は完全にサボっていて、通常3年で卒業できるところを、7年かかってお情けで卒業しました。
通知表にしてみると、(記憶が確かなら)5段階評価で1は落第なので、ALL2みたいな感じだったでしょうか。 そのくらいサボっていたわけです。
非常に親不孝な7年でした。
エンジニアっぽいところでは、プログラムに触れ始めたのはこの辺りで、ホームページを作りたくてHTMLを打って、BBSの機能を弄りたくてPerlのCGIスクリプトを改造して、のようなところが入り口でした。
この、何か作りたいという目的があって、そのための手段としてプログラムに触れる、と言う流れはとても良いものだったと思います。
手段と目的が入れ替わるとろくなことになりませんし、覚えも悪いですから。
手に職をつけるために職業訓練を受けた
その後、しばらくニートをしたり、在宅のアルバイトをしたりしていました。
記憶に残っているものに、機密うんたらに署名した記憶があるので人として具体的なサービス名は出しませんが、インターネット上のサービスを人力で黙々と評価する、というものがありました。
単純作業でしたが時給は1000円以上で、結構いいバイトだったなぁ、と思います。
外資企業は今も昔もお金は払いますね。
そんな感じでモラトリアムしていたのですが、このままじゃ就職できないことは明白だったので、ここに至ってやっと手に職をつけるための活動をはじめました。
国や自治体は結構求職者(特に若年層)には優しくて、格安ないし失業保険で職業訓練をつけてくれます。
自分の場合は、体力はないけれどパソコンはそれなりに使っていたという事情から「IT系しかないなぁ」と分かりきっており、それ系の職業訓練を探して受けることにしました。
組込みシステム技術 | 東京都立多摩職業能力開発センター 府中校
当時とは施設名が変わっていて、同じ科目も既にないのですが、相当はこの辺りになるでしょうか。
当時はエレクトロニクス科、という2年制でハードウェア(ブレッドボード上にトランジスタでフリップフロップレジスタ、タクトスイッチでクロック入れました)から、ソフトウェア(マイコンアセンブラ・C、LinuxC、X-Window、VC++、、、)まで、基礎からのITを訓練する科目がありました。
先に書いた通り多少プログラムはしていましたが、自分のエンジニアとしての基礎はその2年で培ったものであるので、感謝に堪えません。
2017年現在の組込みシステム技術科とその実習成果物を見ると、とても1年制とは思えない詰め込みぶりです。
しっかり収めたら即戦力のエンジニアになれるのではなかろうか。。。
そんな素晴らしい職業訓練を受た結果、何とかSI孫請けなIT企業に潜り込み、手に職をつけることができたのでした。
つづく。