世間でひきこもりが話題になっているので、少し自分について記録に残しておく。
以前少し書いたけれど、自分は中学生の頃から9年ほどひきこもりと言ってよい状態だった。
一応通信制の高校に在学していたけれど、その月一回の登校も行ったり行かなかったりだった。結果7年在学していた。高校4留である。趣味の買い物には出掛けていたけれど、おおむねひきこもっていたと思う。
その頃何を思っていたのか? 何分10年以上昔の話なので、定かな記憶はないし、良いようにねじ曲げて覚えているようなこともありそうだけれど、おぼろげには感覚が残っているうちに書いておこうといった感じだ。
経済状況
そこそこ長期のひきこもりができる位の経済力がある世帯だった。今はなき中流家庭ではなかろうか。趣味の買い物は主に祖父母からのお年玉などのお小遣いで行っていた。テレビゲームやガンプラ、マンガ、雑誌等の本程度で、浪費という程ではなかったように思う。
当時はこのままなにもしないでいても自分一人が衣食住を賄う位はどうにでもなるだろう。位に考えていたような気がする。
親のリタイヤ
お金はどうにでもなるという感覚はさほど的はずれではなかったはずで、親からもお金回りで苦言の類いを聞いた記憶はない。
ただ、お金はともかく寿命は順当に行けば親の方が先に尽きる。
「自分が死んだ後のことが心配でならない」
といったことを伝えられたことはあって、それなりの印象に残っている。
お金のことと同様に当時はあまり深く考えていた記憶がなくて『うぜーなー、知らんがな』位に捉えていた気がする。
家族とを含めて、現実との接点は希薄だったので、あまり実感がなかったのかもしれない。
余談だけれど、自分が物心ついた頃には祖父は退職していた。大手食品メーカーの工場に勤めていたそうなので、企業年金何かもそこそこ出ていたのではなかろうか。この頃の自分の趣味はそうしたお金に支えられていたのだろう。余裕のある時代だ。
手に職
明確な理由は全然覚えていないのだけれど、自分のお金を稼ぎたいと思った。漠然とした不安感からだろうか。何も覚えていない。
契機は一応の高校卒業だったはずだ。とは言え、卒業から手に職をつけようとするまでに半年は過ぎていた。
接客や肉体労働はやりたくなかったしできる気もしなかったので、多少覚えがあったパソコン操作を生かせそうなアルバイトに幾つか応募した。散々説教だけして不採用の連絡もしてこなかった広告作成会社の人事に非常な憎しみを覚えた。一生ゆるさんぞ。
全般に面接後の不採用の連絡はなかった気がする。都度採否を電話をかけて聞いてみじめな思いだった。
就活何十社落ちた、のような例とは規模が違うけれど、それなりに凹んでいたのだろう。今でいう情報商材のようなものにも引っ掛かりかけた。問い合わせを送ると即座に電話がかかってきて、まずx万円払え! のようなことを言われるのだけれど、それを渋ると罵声が飛んでくる。ヤクザな商売である。
その後、運良く外資系のIT周りの派遣企業の募集に引っ掛かって、ソフトのデバッグや評価の仕事をできた。
月並みだけれど、自分でお金を稼げたのは嬉しかった。
ここで面接で説教を受け続けていたら、まだひきこもっていたかもしれない。運だ。
その後、職業訓練を受けてIT業界に潜り込んだ。まぁ、手に職がついたと言っていいだろう。頭と手が動くうちは仕事して給料を貰えそうな感覚がある。
親が死んでも生活力はともかく経済的には大丈夫、位の安心感はもってもらえたのではないかなぁ。と思っている。
オチ
ない。
他にも思い出はあるはずなのでボケる前に思い起こしてメモしていきたい。